悪意・東野圭吾◇講談社

悪意 (講談社文庫)

悪意 (講談社文庫)

最近は各賞を受賞したり、作品の映画化などが増えてきた作者の1996年発表のミステリーの文庫版。

殺人事件の第一発見者になった作家の野々口修が書いた、事件の手記からこの物語は始まる。この手記に違和感を感じた加賀刑事は矛盾点をみつけ、野々口が犯人であると突き止める。だが、野々口は自分が犯人であると自供をするものの、動機などは一切話そうとしないのだった…

と、犯人が自ら書いたミスリードのための文章から始まる、珍しいタイプのミステリー。斜述ミステリーの変形版なのだが、トリックなどを暴き終わってからの方が、トリッキーでスリリングな展開になるのだ。なぜに、野々口は幼なじみである被害者を殺したのか? 動機をしゃべろうとしないのか?などが、野々口の手記と加賀刑事の独白で交互に進んでいく。この描写が、手記の矛盾点を解き明かしていくようで、かなり面白い。
作中の人物も語っているのだが「活字として読むと、全て真実のように思えてしまう」というのは、実は読者に対する挑戦なのでは?とも思ってしまう。確かに、野々口の手記の部分は、淡々と客観的に描かれていて、誠意を持って書かれているように感じるのだ。
現実でも、犯人の手記というのものが週刊誌に掲載されたり書籍になったりするが、それが本当のことなのかは読者には分からない。ただ、活字になってしまうと、何となく本当のことのように見えてしまう物だ。

しかし、それが真実を隠すためにミスリードをわざと入れた物かどうかは分からない。事実、推理小説というのは、真実とミスリードが混ぜられていることが多い。だからこそ、全ての謎が解けたときに「だまされた!」と思っても気持ちがよいのだと思う。

この小説は、それをもトリックとして組み込み、大団円の後に、全てを揺るがすような事実を突きつけてくる。「やられた!」と叫んでしまうほどに。
たとえて言うならば、レールが敷かれたアトラクションだと思っていたら、実はそんな物はなかった、という感じだろうか…

これは、活字メディアの特性を活かしまくったトリックだと思うので、映像化などは難しいとは思うのだが、どう表現するのかは是非観てみたかったりもする。

この時期の作者は様々なトリッキーな作品を発表していた絶頂期なので、興味が出たのなら、ここら辺から攻めていくと、心地よく作者の罠に引っかかることが出来ると思う。

ただ、この作品のラストの驚愕度は、東野作品の中でも上位に位置すると思うので、是非とも体験していただきたい。